30年モノの旧友マダムが3年ぶり鎌倉に来臨されることに。
しかも、鎌倉殿ロス症候群に罹患中?

ワタクシもロス継続中。ならば、鎌倉殿ゆかりの地巡りは不可避…
『IZA 同病相憐れむ遠足』じゃ!
小町通りには目もくれず若宮大路に出て、二の鳥居からスタート。

途中 "このへんトキューサ邸があったとこ" ”こっちは義盛邸だったはず” などと段葛脇を指差しつつ、鶴岡八幡宮入口、三の鳥居に到着。

源氏池と政子石をチラ見してーーー本殿へと続く石段の手前、静御前が舞を披露した(と伝わる)「舞殿」。

2010年に強風で倒伏した大銀杏の幹(左端)と、ひこばえから移植されて成長中の銀杏。そのすぐ傍あたりが「実朝暗殺現場」として有名…

現在は61段の大石段となり、応神天皇・此売神・神功皇后をお祀りした八幡宮本殿(1828年再建)へと続きます。

境内を東側から出ましょう。
途中には、黒漆塗りの社殿が印象的な「白幡神社(1885年再建)」。頼朝公・実朝公をお祀りするため政子が創建したとと言われています。

境内を出てすぐ、鎌倉における「畠山重忠邸址」。彼の本領は武蔵野国、現在の埼玉県深谷市周辺ですから、鎌倉における屋敷。

長子の重保邸はもっと由比ヶ浜寄り、鎌倉警察署の斜め前。牧の方(りく)のせいで親子共々不条理な最後でした(哀)
別日に撮影
さて、鶴岡八幡宮から出て数分歩くと、ここにも「白幡神社」。御所の北隅で持仏堂があったとされ、頼朝の死後は法華堂としてここに葬られていたそうです。

白幡神社横の階段を上りきると現れる、「源頼朝の墓所」。1779年に島津氏が整備したもので、初めて武士の都を開いた御仁の墓としては地味感を拭えません。

そもそも『吾妻鏡』には頼朝の死に関する記録がすっぽり抜けていて、800年を経た現在も憶測と脚色ナシの史実は存在せず。オトナの事情、いえ明らかに北条の事情でしょうけれど。
頼朝の墓所のほど近く、石段を上がったところの平場は、2005年の発掘調査で「北条義時法華堂跡」であると(ほぼ)判明しました。

数年前に訪れた時は、ホーントにナーンにもない広場でしたが、真新しい看板上と無料アプリで実寸大に再現された法華堂が見えるようになっていました。発掘が進んだからなのか、大河ドラマによる義時人気あやかり系か…
©湘南工科大学コンピュータ応用学科
義時法華堂跡の奥にはさらに階段があり、頼朝の側近として政所別当を務めた「大江広元の墓所」も。

主役陣3人の墓所をハシゴして丘を下りたあたり、大蔵郷と呼ばれていたところに頼朝が建てた館が「大倉御所」です。現在は清泉女学院中・高等学校校舎で、当時を記すのはこの石碑のみ。

金沢街道へ出て、しばらく歩くと「宝戒寺」があります。義時以来、北条執権の屋敷であったところで、鎌倉時代終焉後の1335年、後醍醐天皇が足利尊氏に命じてに建立させたそうです。

秋の白萩と並び、初春の梅も見事なのですが、ちょっと早かったか~今年の見頃は3月アタマといった感じ。

宝戒寺を出て、若宮大路に戻る途中、クリニック駐車場に残る「政所跡」。往時を思い起こさせるものは何も見当たりません。。。

段葛に戻ってすぐ、比較的新しい雑居ビルの奥、「泰時邸跡の遺構」。廊下の床下に保存されています。

同じ通り沿いの「こ寿々」にて、旧友マダムはお土産のわらび餅を購入。

駅方面に進み、カトリック雪の下教会脇の路地を入ると「宇都宮辻子幕府址」の石碑と稲荷社があります。政子の死後、盤石たる北条政権への一新を図り、泰時が政治の中心地を移転。かの御成敗式目もここで執筆されたのですが、わずか12年で再移転(→若宮大路幕府)しました。

一時は北条をも凌ぐ有力御家人だった比企一族。ここ「妙本寺」は比企能員の屋敷址に建てられた日蓮宗の寺院です。

広大な敷地の中に、見事な総門、本堂、鎌倉最大級の木造仏像建築である祖師堂、宝物館まで備える大寺院。奥まったところに一族の供養塔や一幡の袖塚もありますが、隅々まで歩いているとランチの予約に間に合わなくなりそうで…南無。

お腹が空いてきました。
江ノ電の踏切を跨ぎ、由比ガ浜通りへ。

旧友マダム、和食をご所望とのことで「茶房 空花」へ。

まず篭盛りで、お造り、牡蠣と蕪、蟹真丈、牛頬肉煮込 など、6品。
白ワインで。

メインは金目鯛煮付けか、しゃぶしゃぶ風すき焼きが選べます。二人ともお肉で、赤ワイン。ご飯は黒米。

旧友マダム、遠い昔に同じ職場でクセの強い上司に仕えた御家人同士でもあります。あれから数十年(長っ!)を経て、それぞれの所領で安穏と暮らしておりますが…そりゃ話題は尽きませんが、ここで多くは語りません…(笑)
デザート:甘酒アイスクリーム最中、酒粕チーズケーキ
そしてコーヒー。

お庭を愛でつつ、江ノ電の音を聞きつつ、ゆったりオトナ女子ランチ向けのお店。虎ノ門にミシュラン星★付き「空花」も展開しています。

さて、遠足を再開しましょう。
店を出て数分、和田塚駅のすぐそば「和田塚」。明治25年、新道造設のため掘削したところ、夥しい数の人骨が発見されたこの地。ドラマの中では愛されキャラだった和田義盛とその一族戦没地と伝わります。

そのまま海へ向かい「由比ヶ浜」に出ました。
この日の空は雲が多くて肌寒く、人も疎らですが、夏の賑わいはご存じの通り。こちら、逗子方面向き。

海に浮かぶことの叶わなかった実朝の唐船、沈められてしまった義経と静の赤子、時政の策謀により討たれた畠山重保、和田合戦における義盛の挙兵地。
由比ヶ浜の砂には、血と無念が沁みこんでいるのです。
こちら稲村ケ崎方面向き。

坂ノ下から陸地へ戻りました。
ここで突然「最後から2番目の恋」ロケ地プチ案内も挟みーーー
極楽寺切通しを登り、泰時が1219年に開創した「成就院」へ。

息切れ必至の階段を登りきって振り返ると、由比ガ浜が見下ろせますよ。

さぁ、遠足も大詰め「極楽寺」です。ドラマでは登場しませんでしたが、義時の三男・重時(朝時と違い優秀、連署として泰時の補佐を務めた)が建立しました。

極楽寺の駅から江ノ電に乗り、マダムは藤沢へ、ワタクシは七里ヶ浜駅で下車。
とうわけで、ミッション・コンプリートっ。
健脚マダムとはいえ、2万歩超の遠足、お疲れさまでした。懲りずにまた来てね !(^^)!

~ おまけ Conosciamo l'italia in lingua italiana ~
旧友マダムは現役の編集者でもあります。
多くの(とりわけフランス語関連の)書籍に携わってきているのですが、昨年末刊行されたコレ。
イタリア20州をイタリア語で読むという切り口は、ありそうで無かった目の付け所。
練習問題もあるので学習書としても、また、読み物としても面白いので、イタリア好きの方は手に取ってみては?